J.LEAGUE PRO-FOOTBALLERS ASSOCIATION-有限責任中間法人 Jリーグ選手協会-

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FILE007  
中尾真那 選手
生年月日 : 1986/09/02
身長/体重 : 183/74
ポジション : DF
経歴 : 桃山高

― 小学生時代(御蔵山グーニーズ )

最初にサッカーを始めたのは小学校2年生の時です。僕が通っていた小学校には少年団がなかったので、近くの別の小学校の少年団でサッカーを始めました。監督がすごくしっかりした人で、基礎練習主体の練習でした。特に最初の頃はずっと基礎練習ばかりで、ミニゲームがたまにあるくらいでした。チームは僕が入った当初はメチャ弱かったんですが、6年生の頃には宇治市で一番、県大会ではベスト8まで行くような強いチームになりました。

― 中学生時代(アドバンFC)

最初は友だちと一緒に違うチームに入っていたんですけど、そこが合わなくてすぐにやめて、アドバンFCに入ったんですね。アドバンFCは御蔵山グーニーズと関連するチームで、このチームでは小学校の延長的に基礎練習をやっていたんですが、そんなに強いチームではありませんでした。僕自身も選抜の選考会に行ったことはあるんですけど、選ばれませんでした。ただ、個人的には、一番成長したのは中学3年生の年代だったんです。小学校の時はセンターバックだったんですけど、中学校でサイドバックになったんですね。最初はタイミングとかがわからなくて、全然オーバーラップが出来なかったんです。監督からは「ボールを奪ったら全部上がれ」って言われていて、3年生くらいになってようやくタイミングがわかってきて、思い切ったプレーが出来るようになったんですね。まあ、サイドバックというよりは、ほとんどサイドハーフみたいなポジションだったんですけど。(笑)

― 高校生時代(府立桃山高等学校)

小中学校では技術的なことが多かったんですけど、高校に入っては戦術的な練習が多くなりました。監督がディフェンス出身の方だったので、コースの切り方やサポートなどディフェンスの個人戦術をよく教えてもらいました。高校時代はPK負けが多くて、大会では予選落ちばかりでした。個人的なところでは国体の選考会に2年連続でトレセンのグループとして出ました。両方とも最終選考までは残ったんですが、国体には出られませんでした。

毎年、桃山高校は広島遠征をするんですけど、そこでサンフレッチェのスカウトの方が見てくれたんです。そして3年生の6月に「練習に来て見ないか」って誘われました。プロになることが夢だったので、すごく楽しみにして参加したんですが、いざ練習に参加してみると、レベルが高すぎてなんにも出来なくて。緊張もあったし、パススピードも速くてパスが繋がりませんでした。芝だからボールも滑ってくる。もう全てにおいてレベルが高くて。ショックだったんですけど、あきらめずに、帰ってからキックの練習とか一生懸命していたんです。それで9月にもう一度呼ばれたんですね。その時は、6月より全然出来たんです。自分でも「出来たな」という感触があるくらいに。でもすぐには決まらなかったんですね。僕が聞いたのは9月の終わりで、ちょうど高校の体育祭の日だったんです。朝、監督から「サンフレッチェが来てくれって言っているぞ」って聞いて。やった、って。全然、悩まずに即決しました。

― プロになれた一番のポイントは?

プロになりたいという夢を持って、あきらめずに、ずっとサッカーに取り組んでいたからだと思います。元々、サンフレッチェが2度目を呼んでくれるとは聞かされていなかったんです。でも、あきらめないで、少しでも高いレベルに追いつこうと練習をかなり懸命にしました。そういう取り組みがあったからだと思っています。


【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫

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