J.LEAGUE PRO-FOOTBALLERS ASSOCIATION-有限責任中間法人 Jリーグ選手協会-

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FILE014  
豊田陽平 選手
生年月日 : 1985/04/11
身長/体重 : 185/79
ポジション : FW
経歴 : 星稜高-名古屋グランパスエイト

― 小学生時代(安宅小スポーツ少年団→石川小スポーツ少年団)

サッカーは2年生の時に小学校のサッカー少年団で始めました。僕は保育園の頃から走るのが大好きで、足も速かったんですね。それで小学校1年生の時に一度家に帰ってから学校に遊びに行ったら、少年団の人たちがグラウンドをぐるぐるとランニングをしていたんです。それを見て、「一緒に走りたいなあ。僕だったらもっと速いのに」って思って。(笑)それと、2年生からJリーグが開幕して、「サッカーっていいなあ」って思ったのもあって。親は野球をやらせたかったようなんですけどね。ただ2年生から始めたのでなかなか上達が遅かったんです。それで3年生になった時、ひとつ上の上手な先輩から「なにやっているんだよ。デカイくせに!」っていつも文句を言われるようになってしまったんです。そんなんだったらもうサッカーやめたいなあって思って、親に話したんです。そうしたら、親がすぐに「それでいいのか?」って答えてきたんです。小学生ながら、その一言がすごく胸に重く残ったんですね。それから一日、一人で考えたんです。やっぱり、このままやめたら、なんか、悔しい。子供心にそう思って、次の日の朝、親に「やっぱり、やる」って話をしました。それから、何を言われても、必死になって頑張って練習を続けて、4年生になったら、センターバックでひとつ上の代の試合に出場できたんです。その試合で活躍したら、それから毎試合出られるようになって、その先輩にも認められるようになりました。ですが、6年生になったら、人数が少なくなっちゃって、僕の代が5人しかいなくなっちゃったんです。そうすると大会に出られません。学校は「大会に出られなくても、練習はできるよ」と言ってくれたんですけど、その頃には上を目指したいって気持ちが強くなっていたんですね。それで、父親の同僚の息子さんが入っている隣の市のチームに入ったんです。小学校が終わってから、親に40分くらい車に乗せてもらってそのチームの練習に行っていたんですね。連れて行ってくれるのは母親が多かったんですけど、仕事をなんとか早く終わらせて連れて行ってくれたんですね。すごく迷惑をかけたので、そういう意味でも頑張らなくちゃって気持ちが強かったんです。そこからは県の大会に出て、上位には行けなくても、相手には負けないんだという自信も出来るようになりました。

― 中学生時代(FC小松)

安宅中学校に進学したんですけど、そこにはサッカー部がなかったので、地元の小松市のクラブチームに入りました。ここで、一人目の恩師に出会ったんです。最初はボランチをやっていたんですけど、コーチにフォワードへの転向を薦められたんですね。チームのためだったらボランチをやってもらった方がいいんだけど、お前のためにはフォワードをやった方がいいって。自分としては、ゲームを作ることが好きだったので、嫌々フォワードをやりました。僕がボランチだったら、ここにパスを出すのに…って思いながら。3年生になって、もうしょうがないって吹っ切って、フォワードに専念するようになったんです。ここがひとつの転機になったでしょうか。コーチも勉強家で、いろいろなフォワードの動きや個人戦術を教えてもらえたのが、すごく今になって効いています。本当にお世話になったんです。もう70歳くらいになる方なんですが、まだ現役でサッカーをやっている方で、今でも実家に帰ったら、一緒に食事をしたりするんですよ。中学時代、トレセンはことごとく落とされてしまい、「実力はあるよ」ってコーチには言ってもらっていたのですが、小中学校では全く無名の選手でした。

― 高校への進学

中学時代から大学への進学を考えていたので、金沢桜ヶ丘という勉強も出来てサッカーも強い学校があったので、そこに進もうと思っていたんです。でも、そこを落ちてしまって。(笑)滑り止めの星稜に一般入試で入学することになりました。


― 高校生時代(星稜高等学校)

入学したら推薦の選手たちはすでに練習をしていたんですよね。僕は普通に入ったので全然ついていけなくて。全然追いつかないよ!って思って。でも、しばらく我慢して頑張ろうって思っていたら、なにかのきっかけで先生の目に止まって、選手権から1年生でメンバーに入れるようになりました。この頃から目標が変わってきました。もともと大学に行くつもりだったんですが、先生に「お前の志望はどこなんだ」って聞かれて、せっかく星稜に来たんだから目指すのは上だろうと思って「プロです」と答えるようになりました。
1年、2年とサブで使われていたんですが、田中俊也さん(愛媛)がいて、星稜はすごく強かったんです。全国大会も普通に行っていたし、全日本ユースも決勝まで行きました。その頃から、3年生がスカウトの目に止まっていたので、2年生の僕も見てもらえるようになりました。それから、中学時代とは変わって、選抜には1年生からいきなり入れるようになりました。

3年生のインターハイ予選が終わった後に、ちょうど富山県でキャンプをはっていたヴェルディの練習に参加することになったんです。あのエムボマがいましたよ。ヴェルディって独特の空気があるじゃないですか。その空気に呑まれてしまって、僕は緊張してガチガチになって、なんにも出来ませんでした。すべてのレベルが高くって。秋ぐらいに本田と一緒に名古屋に練習参加して、2回目の練習参加の後に気持ちを聞かれて、名古屋は雰囲気がすごくよかったので、名古屋に行くことを決めました。

― プロになれた一番のポイントは?

小さい頃からコーチが示してくれた練習に対して、これはなんの練習だろうとか、これをやったら上手くなるとか、考えながら練習をしていたのがよかったと思います。今、中学校とかに練習を見に行くと、やらされていたり、適当にやっている選手が多くて、考えてやっている選手が目立たないように思うんです。おざなりにやらずに、考えてやっていってほしいと思います。あとは、小学校時代に隣の市まで連れて行ってくれたり、無理をして私立の高校に進学させてくれた親の協力にとても感謝しています。


【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫

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