J.LEAGUE PRO-FOOTBALLERS ASSOCIATION-有限責任中間法人 Jリーグ選手協会-

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FILE040  
鈴木啓太 選手
生年月日 : 1981/07/08
身長/体重 : 177/67
ポジション : MF
経歴 : 東海大翔洋高

― 小学生時代(清水市立入江小学校)

サッカーを始めたのは3歳くらいだったと思います。幼稚園の年少時代に「サッカーをやりたい!」と自分から親に言ったそうです。それで親が近くの清水第八サッカークラブというクラブチームを探してくれて。幼稚園児の大会もあったんですよ。静岡伊勢丹の屋上の人工芝で試合をした記憶があります。
小学校ではスポーツ少年団に入りました。静岡ならでは…じゃないですけど、先生ではなく、近所のおじさんたちがサッカーを教えてくれました。僕の父もサッカーを教えてくれたり、時間を見つけて見に来てくれたりしました。父はそんなにサッカーが上手いというわけではなかったのですが、サッカーの知識はそれなりに持っていたんですよ。練習は技術練習と試合を主体として、友だち同士でいろいろと考えながらやっていました。清水市の選抜チーム「清水FC」には3年生から入りました。そこではいろいろと技術力の必要な練習をしました。特にディフェンスの間にパスを通す…という練習をした記憶があります。選抜チームですから、静岡県内の市と試合をするんですが、僕の時代は浜松も強かったので、清水と浜松の2強の争いという感じでした。これは静岡県内でもそうでしたが、全国的にもレベルの高い2チームでした。読売ランドで行う全日本少年サッカー大会で前年度清水FCが優勝していたので、静岡県内から2チーム出場できることになって清水FCと浜松JSCが出場したんですが、全国大会の決勝戦もなんとこの2チームの試合になったんですよ。そこでは鈴木孝明(水戸)がいた浜松に負けました。当時、ヴェルディが全盛期の頃で、ラモスさんとかカズさんがいた時代で、練習は見られなかったのですが、そんなヴェルディの練習グラウンドの横で開催された大会に出場したのは、とてもいい思い出になりました。


― 中学生時代(東海大学第一中学校)

エスパルスのジュニアユースが出来た当時で、清水FCの選手はエスパルスにあがるケースが多かったんです。でも、東海大一中には桜井先生という素晴らしい指導者がいらっしゃったので、エスパルスに行こうか、東海大一中に行こうか、すごく迷いました。その結果、どうしても桜井先生に教えていただきたかったので、東海大一中への進学を決めました。

東海大一中は学生の三分の一がサッカー部でした。1学年に100人いましたから、全校で300人生徒がいて、そのうち100人がサッカー部員です。校庭の半分が野球部、もう半分がサッカー部で、その半分の狭いグラウンドでトップから1年生まで全員が練習をしていました。人数が多いうえに、3年生に高原さん(高原直泰/アイントラハト・フランクフルト)、2年生に阿部さん(阿部謙作/甲府)など、アンダーの日本代表に入っている選手がいて、その中でやっていけるのかな…という気持ちもありました。状況は厳しかったですけど、素晴らしい先輩がたくさんいたので、すごく勉強になりました。1年生の時にはまったく試合に絡めませんでしたので、応援をしていましたね。2年生の夏…全中(全国中学校体育大会)の予選くらいから試合に出られるようになってきました。2年生の全中予選は静岡では勝ったんですけど、東海大会で負けて、全国には行くことはできませんでした。3年生の時は、キャプテンになり、全中で優勝しました。下の世代と自分たちがいい感じでまとまっていたんです。下には裕哉(佐野裕哉/長崎)とか鈴木良和(水戸)とかいい選手がいたんですね。大悟(小林大悟/大宮)はこの時試合には出ていませんでした。実にいいチームで、試合に出ていないメンバーもすごく協力的だったんです。選手が打撲をしたり、怪我をしたりすると、夜眠らないでアイシングの氷を変えてくれたりして…。中学生ぐらいだと、なかなかそうはいきませんよね。俺は出ていないのになんだよ…ってなっちゃうのが普通だと思うんですけど、そういう意味では素晴らしいチームだったな、と今でも思います。全国で優勝することもできましたし、この当時の思い出はすごく強く残っています。本当にいい仲間に巡り合えました。中学では静岡市選抜に入ったことはありますけど、全国トレセンには行っていません。

― 高校への進学

高校進学でもいろいろと迷ったんです。清水東に行きたい、という気持ちもありました。でも僕が中学2年生の時に、桜井先生が東海大翔洋高に異動になって、高校で指揮をとることになったんですね。桜井先生に「ウチに来ないか」って誘ってもらったので、これはもう行くしかないなと思って東海大翔洋高に入りました。


― 高校生時代(東海大学翔洋高校)

翔洋では1年の時から使っていただきました。でも、高校になると静岡県内で勝ち抜くのってかなり大変だったんです。伸二さん(小野伸二/浦和)がいた清商や、高原さんがいた清水東、静岡学園と東海大翔洋があって、なかなか勝ち抜けませんでした。桜井先生には、技術面はもちろんなのですが、その試合の中でポイントになるところはどこなのか、何が一番大事なのかを考えろ、とよく言われました。枝葉ではなく、幹を見なさい、と。正直なところ、当時はよくわからなかったのですが、プロになってやっと「ああこういうところが大事なんだな、動き回ってもしょうがないし、大事なところを抑えなければダメなんだな」と思うようになって。今になっても心に染み入る言葉ですね。個人的には1年生、2年生で静岡県と東海トレセンに入りました。3年生の夏、静岡ユースとしてSBS国際ユースサッカーに出場しました。バスコ・ダ・ガマなどの海外のチームとも試合をしたんですが、アンダーの日本代表の選手と試合をしたことをすごくよく覚えています。遼一(前田遼一/暁星高/磐田)もそうだったし、駒野(駒野友一/広島ユース/広島)や寿人(佐藤寿人/市原ユース/広島)など、そうそうたるメンバーがいて、力の差を感じたんです。個人個人のレベルで上手い下手というよりは、「こいつら、すごいな。本当にサッカーをよく知っているな」という感じでした。差を感じて「負けたくない。追い越してやる」という気持ちを持ちました。同年代トップとの距離を初めて測れたんじゃないでしょうか。小学校でも中学校でもずっと自分たちが優勝していたので、自分が一番だと思っていましたからね。

浦和に入ることになったきっかけは2年生の時に出場した、ヤングサッカーフェスティバルという大会です。選手権で活躍した3年生が主体の日本高校選抜と2年生が主体の静岡県選抜で試合をしたんですね。そこに当時浦和のGMだった横山さんが視察に来ていたんです。おそらく日本高校選抜を見に来ていたと思うんですけど。(笑)その時に運よく僕がいいプレーをして…という話を聞きました。その後「ちょくちょく見に来ます」と先生に言っていただいて。その後、3年生になって、8月の菅平合宿に参加しました。ちょうど降格争いもあり、監督も決まっていない時でしたので、練習に参加したという強い印象はなかったですね。ただ、トレーナールームに挨拶に行った時に、福田さんや有名な選手がマッサージを受けていて「ああ、これがプロなんだな」という実感を持ちました。正式に話をいただいたのは9月の国体の東海大会を見に来てもらった時です。その時「来てもらえないか」という話をいただいて。両親は大学に行ってくれと言っていました。せっかく、中高と東海大付属に行ったんだからって。(笑)僕も大学は考えていましたけど、プロで勝負したいという気持ちが強かったんです。大学を卒業してからもチャンスがあるかどうかはわかりませんからね。

― プロになれた一番のポイントは?

難しいですね…。僕自身、中学、高校と目立った選手じゃなかったんです。自分より上手い選手はたくさんいました。そんな中でどうやったら生き残れるか、常に自分自身で模索していましたね。上手い選手は沢山いるから、僕はそういう選手が輝けるような仕事をしようと考えていたと思います。誰かのために走ったり、誰かのためにディフェンスをしたり。自分が勝負できるものはこれだと捉えてやれたことが良かったと思います。
あと、桜井先生の存在は大きかったですね。高校サッカーという意味ではなく、自分が成長していくという意味でも、プロになるという意味でも。人格を育てるというか、そういう方でした。レッズに入る際にも「お前、プロに入ったらそれでは通用しないよ」と、その先々を読んだ指導をしていただきました。怒られながらですけど。(笑)もう、よく怒られましたね。怖かったですよ。桜井先生は学年の中で一人怒る人を決めるんです。タカさんもそうでしたし、阿部さんもそうでしたし、僕もそうでした。3年生になってからは、もうすごかったです。(笑)本当に丁寧に指導していただきました。(笑)


【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫

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