― 小学生時代(安芸府中サッカークラブ)
サッカーを本格的に始めたのは4年生からです。ちょうどJリーグが盛んな時期でしたので、きちんとしたところでサッカーをやってみたいなと思って、友だちと一緒にクラブチームに入りました。昔代表に入っていたという有名な小沢先生という方に教えてもらいました。先生はディフェンダー出身でしたので、テクニックよりはいろいろなキックの種類を教えてもらいました。スパルタ系のチームだったので、けっこう厳しかったですよ。おかげでメンタル面を鍛えてもらいました。5年生から、6年生に混ざる制限なしのコースにあげてもらいました。週に4日練習があったので、サッカーばかりしていたような印象があります。安芸府中サッカークラブは県内の大会ではいつも上位に食い込めるくらいの、なかなか強いチームでした。サンフレッチェ広島ジュニアは同地域なので何度も対戦していましたよ。ただ種類が違うチームなんですよね。サンフレの方は足もとの技術がすごく上手くて、安芸府中サッカークラブは気持ちのチームというか(笑)。サンフレと安芸府中と全部で4つくらいのチームが合同で韓国に遠征したりしました。韓国の選手は同年代でも身体が大きかったので、みんな驚いていましたね。
普通に考えれば、中学校の部活に行っていたところなんですが、サンフレッチェ広島Jrユースのセレクションがあることを知ったんです。でも、その日はクラブの試合がある日だったのでそのセレクションには行けなくなっていたんですね。そうしたら、当日、雪が降って試合もセレクションも日程が変わったんです。それでセレクションを受けることが出来て、合格することが出来ました。
― 中学生時代(サンフレッチェ広島Jrユース)
ジュニアユースは1学年17人いて、ジュニアから5~6人があがり、外からおよそ10人入りました。ジュニアユースは府中町の周囲でやっていました。小学校でスター選手と呼ばれるような選手が集まるチームでしたので、最初は慣れるのに苦労しました。2年生や3年生も一緒にやると、レベルが高くて苦労しました。でも試合には最初から絡んでいました。試合をすることが多かったので、実戦の中で指導を受けていました。チームの強さとしてはイマイチで、全国に出ると勝ちきれないようなチームでした。クラブユース選手権には行くんです。グループリーグも突破できるんです。だけど、マリノスとか関東系のチームと当たると負けちゃう…みたいなチームでした。マリノスとかマリノスの追浜とかが強くて、上には上があるんだなあ、と思っていました。
― 高校への進学
スタッフが意見交換をしてジュニアユースからユースに上げる選手を決めるようなのですが、それはなんとかクリアしたようです。ジュニアユース17人中、4人だけユースにあがりました。
― 高校生時代(サンフレッチェ広島ユース)
ユースでは寮に入ってトップの練習場がある吉田町に住むのですが、普段の生活からしっかりしなくてはいけないので、生活面では厳しく指導を受けました。寮では朝の点呼を守らないと連帯責任でみんなが責任をとることになります。一人が練習の準備をさぼったら、全員が坊主頭になって責任をとるとか。坊主は合計2回やりました(笑)。でも、おかげで人間形成というか、グループで戦っていく気持ちをしっかりと持つことが出来たと思います。ユースに加入したと同時に、サッカー的には各段にレベルが高くなるんです。1年と3年ではレベルが違いすぎてショックを受けました。「この中で本当にやれるのか?」という印象でした。特に上の学年には森崎さん兄弟(広島)とか駒野さん(磐田)がいて、みんなすごく上手いんですよ。特に森崎和幸さんはポジションがかぶっていたので、見るだけで勉強になったし、いい目標となりました。チームではいろいろと練習をこなしましたが、僕が3年生のころにはトップが4-3-3になったのと合わせてユースも4-3-3になり、精神的に強いサッカーを志向するようになりました。メンタルが強い国見高校のようになったので、サンフレッチェ国見…と呼んでいた人もいました(笑)。おかげで強くなって、クラブユース3位、高円宮3位、国体も3位と連続で全国上位に食い込むことが出来ました。
3年生の時に進路を決めるので、大学も進路のうちに入ってきました。僕は「サンフレッチェがだめなら他のチームに行きたい」と考えていたのですが、コーチと相談して、夏くらいに大学に進学することを決めました。大阪商大は選手を取るような大学ではないんですが、サッカーではかなりいい成績をあげていたし、寮生活で生活態度もしっかりしているから、ということで入学させてもらうことができました。
― 大学生時代(大阪商大)
大商大は1部と2部を行ったり来たりでしたので、決してレベルが高いというイメージではありませんでした。上手い選手もいるんですが、大学になるとみんながみんな真面目にサッカーに取り組んではいなかったりもするんです。そこのあたりが難しかったんですね。正直なところ、僕自身もサッカーに取り組む気持ちが落ちてしまう時期もありました。そんな中でも、なんとかサッカーだけは続けてきたことが、モチベーションを失わずに済んだのだと思います。リーグ戦は同じ年代でやりますから、大体知っている相手だったりするので、今の自分のレベルを測ることができました。また、ガンバのサテライトと練習試合を何度かしましたが、通用しないことはなかったので、自分は出来るんだという感触は得ることが出来ました。
4年生の夏に大商大の先生から「ちょっと行ってみたらどうだ」と話をしてもらって、セレッソの練習に1週間くらい参加させてもらったんです。僕もプロになるチャンスがあるのであれば、やってみたいという気持ちを持っていましたので、参加させてもらいました。その練習の最後に、セレッソのメンバーとして練習試合に出させてもらったんです。そのパフォーマンスは自分として悪くなかったんですね。それが次に繋がったというか。年内にもう一度練習に参加したんですが、その後連絡があって「来年のキャンプから練習に参加してみないか」と誘われたんです。それでキャンプに参加しました。キャンプが一区切りついてから、話を受けました。契約の内容はとても厳しいもので、それで本当に自分がやっていけるのかどうか少し悩みましたが、前進はしたわけですし、それでもやれるという気持ちが僕にはありましたから、プロになることを決めました。
― プロになれた一番のポイントは?
あきらめずに続けてきたことが大きかったと思います。途中でダメだな、と思ってあきらめていたら、道は拓けていなかった思います。








