― リラックスルームがあって、そこが良かったという話です。
そうそう。GTOと古畑のビデオがあって。1回見出したら止まらないから、最終話までずっと見ていた。GTOは嫌だという位見ていた。
― 南選手は「全員揃っていて、なんて結束力のあるチームなんだろうって感動した」って言っていたけれど。
それは違うよー。それは雄太の取り間違い。(笑)外には出るなって言われているし、みんなやることないから、コーヒー飲んで、GTO見てただけだからね。結束力があるというよりも、そこしか居場所がなかったんですよ。
― 大会自体はどうでしたか? いろんな選手が出ていたんですが。
シャヴィ、ガブリ、プジョル。シャヴィはよく覚えている。こいつ、上手いなあって。あと、ポルトガルのシモンも上手かった。やっぱりスペインは強かった。
― 盛り上がっていましたよね。
坊主にしたやつらもいたからね。氏家、イナ、浩二、バン。タカがもともとやっていたから、みんなやりはじめちゃったんだね。坊主にしたら勝てた! って勢いだったんだけど、いつの間にか快進撃になっちゃって。ノリでやっていたよね。
― 誘われたでしょ?
やろうよって言われたけど、俺はそういう冒険はしないの。(笑)
― 学年がひとつ違うのは影響した?
あまり気にならなかったね。俺と同じ学年のヤスや永井やウジもいたけど、みんな後からメンバーに入ってきたから。俺はアジアユースの時はクッシー(櫛野選手/千葉)と一緒だったから、クッシーがいなくなって雄太が入ってきたので、違う気持ちはあったよね。
― さて、当時のトルシエ監督は今思うとどうでしたか。
思うことがあったらすぐ行動に移すタイプなんだと思う。つかみどころがない人。でも、今考えると俺らに対して愛情があったんだろうけどね。ただ、自分がカッカすると止まらないタイプだから難しい。冷静な時には面白い話をしてくれた。ビデオとか見せながら、フランス代表の話をよくしてくれた。でも瞬間湯沸かし器だからね。
― また指導を受けたいと思いますか?
思わない。(笑)
― でも当時のサッカーとしては斬新だった。
Jリーグが出来て6、7年で、日本の中でサッカーという存在が確立してきて、前の年にワールドカップにも出て、新しいことを入れようという気風があったから、トルシエのような監督を受け入れやすかったんじゃないかな? でも実際に今トルシエが来てフラットスリーだ、なんて言っても、うまくいく部分もあるだろうけど、そうじゃないところも多いと思う。それだけ日本は世界のサッカーを知ってきているし、サッカー自体も根付いているから。3大会連続でワールドカップに出場し、経験やステータスのようなものが生まれたしね。それを作ったのはトルシエだと言えばそうなんだけど。だけど、またトルシエに教わるかといえばそうじゃないと思う。トルシエが「今、世界はこうなっているんだ、こういうサッカーがいいんだ」って別のサッカーを持ってくれば話は違うかもしれないけれど。
― それなりに影響を受けたんだ。
こういう監督も面白いだろうなあ、とは思っていた。客観的に。試合に出ていなかったからね。試合に出ていたらまた違う見方があるんだろうけど、客観的な見方しかできないですよね。
― 榎本選手におけるアフリカとは?
人生におけるカルチャーショックだった。選手として考えれば、ひとつの挫折とこれから先における糧になるという経験を得た場所…かな。登録された中で出ていなかったのは俺だけだからね。アジアユースでは出ていたから、悔しかった。ちくしょうと思った。挫折感もあった。でも、そういうことがあったから、今、やれているんだろうと思うからね。いい大会であったと同時に、ターニングポイントになる大会でもありましたね。
― ありがとうございました。