日本ユースサッカーの金字塔とも言うべき1999年ワールドユース・ナイジェリア大会での準優勝。この大会にエントリーされた選手19人(曽ケ端選手も含む)のうち12人が、のちに代表入りを果たした。スキルが高く、ハートも強いゴールデンエイジとも称される1979年組に、大会から6年たった今、当時なにがあったのかをリレー形式で聞く、昨オフに連載して好評だった続編。第14回目は播戸竜二選手と加地亮選手の対談後編。これで最終回です。
播戸 完全にやられましたよね。テニスコートで突然練習とか始めたよなあ?
加地 テニスボールを持って「これがボールだ!」って突然始めるんですわ。
播戸 そうそうそう!(笑)
加地 プッシュアップしたなあ。
播戸 試合当時の朝もやったよなあ。テニスコートで。
加地 ドクターが怒ってた。
播戸 メディカルとは対立していたなあ。
加地 セットプレーの練習とかよくやったよねえ。トルシエは自分でボールを持ちあげて、走りながら蹴ったボールの動きを追っていたよねえ。(笑)
播戸 加地がずっと怒られていたのを覚えているもん。ずっと怒られとったよね。
加地 なんか知らんけどね。
播戸 満男なんかも「お前は寒いところの出身だから喋らへんのか!」って怒られとった。
― 今は小笠原選手はけっこう喋りますよね?
加地 喋るようになったよね。
播戸 昔はそんなに喋るようなタイプではなかったんだよね。
― あの中で一番喋らないのは手島選手ですか?
播戸 そうかも知れないね。でも、中心選手だったからなあ。
加地 テッシー、ツジ、中田浩二。
播戸 金古もブルキナファソには行ったんだよね。そこで前十字切ったからね…。俺、看病したもん。
― 本大会に入ってチームは順調に勝ち始めるんですが、雰囲気はどうでした?
播戸 明るかったよねえ?
加地 明るかった。
播戸 それに強かったよね。サッカーも強かったし、精神的にもみんな強かった。ナイジェリア人もみんなオーレ、オーレって応援してくれていた。なんか、海外の代理人とか言う人が、モトに移籍せえへんかって来ていたよ。
― 対戦チームにもいろいろな選手がいました。イングランド戦の後半、2mくらいある選手が出ました。
加地 クラウチでしょ?
播戸 あいつ出よったん?
― ポルトガルのシモンとか。
播戸 いたいた。
― シャヴィ、ガブリ。
播戸 シャヴィはイナががっついて、がっついて行っているのに、くるっくるって回られてたからなあ。
加地 軽ーくいなされていたなあ。
播戸 なあ。イナだけになあ?
加地 …
播戸 突っ込んどいてや。寂しかったわあ、今。(笑)
― この大会では準優勝という成績で、自分たちがどのレベルにいるのか、実感できた大会だったと思うんですが。
播戸 確かにそういう部分もあるけど、海外の選手というよりは、最初にこのメンバーとサッカーをやった時の方が衝撃的やった。伸二や満男やモトを見たときの方が衝撃的やった。ええーっ、こんなやつらおんの? って。だから、海外の選手にはそこまでの衝撃はなかった。
加地 チームとしても面白かったよね。
播戸 みんな仲良かったからね。
加地 俺も出られない試合が多かったんだよね。でも、そんな中でも一生懸命盛り上げていたよ。
― 加地選手は坊主にしちゃいましたしね。
加地 あれね、俺、一番最初に坊主にしたと思うんですけど、なんか最初は俺じゃあかんような報道でしたよね。(笑)
播戸 あれね! 最初はイナとか浩二じゃないねん。加地だったよな。
加地 そうだったんです。
播戸 そんで、トルシエの真似やって、加地がカズさんの真似やって。
1979/08/02生 身長:171cm 体重:65kg ポジション:FW